玄米生活。

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玄米ご飯を食べています。そうです。血糖値のせいです。昨年血糖値が高いと注意を受けてから、糖質をとても気にするようになりました。それでも米を無性に食べたくなる時がある。米は糖質が高いですからね。とはいえ玄米ならば、糖質を抑えられるし、血糖値も急激に上昇しないのだそうです。もしも米を食べるなら玄米にしな、と先生からもいわれたので始めてみたわけですが、う、うまいじゃないか、玄米って。

 

これまで玄米は食べたことなかったけれども食べてみてそのおいしさにびっくりしました。プチプチっとした玄米の食感もなんだか楽しいし、食感があるからか、よく噛んで食べるようにもなりましたし。よく噛むと玄米の香ばしい甘さをより感じるんですよね。消化にもよくなるし、食物繊維や栄養価も豊富だし。

 

我が家は米を精米するとき上白一択!だったので、玄米に慣れることができるのかちょっと不安だったんだけど、食べてみると全然問題なし。むしろ、玄米のほうが好きかもしれない。わたしという人間が単純なだけなのか、それとも玄米がわたしのお口に合っているからなのか、血糖値を気にしながらもこんなにおいしいご飯が食べられるだけでもありがたいと思いなさいという天からの声に素直に従っているだけなのか。どうであれ、玄米はおいしいということだけは揺るぎない真実。理由は一旦、今は置いておくことにします。

 

玄米はちょっとの塩と胡麻をふりかけて食べるとおいしい。あとはシンプルに梅干し。もちろんそのまんまでも。カレーもおいしいし、雑炊にしてもおいしい。つまり、米と一緒です。

 

糖質制限で食事の幅が狭くなってしまうのでは、と心配していましたが、逆でした。むしろ広がったというか、これまで食べなかったものを食べるようになって、再び食の楽しみに触れています。食って奥深いですね。

わたしのスプーン。

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スプーン一本すら選ぶことができていなかった。自分はどんなスプーンが好きなの?という問いかけなどこれまで一度もしてこなかった。なのに突然、自分のスプーンが欲しいと思った。きっかけはよくわからない。ただ、朝にヨーグルトを食べるときやコーヒーにミルクを入れて混ぜるとき、お昼にスープを飲むとき、お茶の時間にプリンをスプーンですくうとき、夜、その日一日のうちでの最後のコーヒーを飲むとき。たった一日のなかで、スプーンは何度も登場する。のに、わたしはこれまで、何気なく、ただずっと家にあった、誰かが買った銀いろのスプーンを使っていた。でも、ふとそのスプーンの柄と柄尻のあいだのウネウネとした模様を見て、これはわたしの好みじゃない、と気づいた。わたしなら、もっとシンプルなものを選ぶ。

 

たった一本のスプーン。買えば数百円。今すぐ買わなくなって困らない。もちろん命に関わるものでもない。でも、自分の気に入るスプーンを使えばなんだか毎日が今よりちょっとだけ楽しくなるような気がした。そんな小さなものが欲しかった。

 

いろんなお店を回っては、買い物のついでにふらりと食器コーナーを覗いては、自分好みのスプーンを探す。値段など関係なしに、自分が使いたい、これがいいと思うものをずっと探していた。そしてやっと見つけたスプーンは、一本400円、これといって飾り気なし。愛想がないともいえる。でも、押しつけがましくない。その面が日常にぴったりなのよ。

 

スプーンの先っちょから柄尻にかけてこれといって何の特徴もありませんと見せかせて、実はちょっとだけ、さりげなく湾曲している。だから、人差し指と親指が上手にフィットして、スープを飲むときやコーヒーを混ぜるときもちょっとの力でいい。柄と柄尻のウネウネももちろんない。角がないからやさしくって、程よく重さがあるのもいい。口に入れたときに舌のうえにスプーンのつぼが乗ったときの感触、唇を通過するとき、どのタイミングであれ自然。まるでずっとそこにあったかのようなお馴染み感。無駄な装飾を一切削ぎ落としたシンプルさは、他の食器の邪魔をせず、わたし以上に協調性に優れている。見習わなければ、とすら思うその佇まいに感心すらする。

 

スプーンにこれほど情熱をかけたことなんてこれまでの人生で一度もないけれど、やはり生活はちょっと楽しくなったし、何より、自分がこだわって選んだものを使っている気持ちや、そのお気に入りが毎日、視界に入ってくることに小さな喜びを感じる。その小ささ、さりげなさがいい。

 

今回はシンプルなものを買ったけれど、次は少しだけデザイン性もあるものが欲しいな。例えば、赤いちょぼが柄尻の先っちょについているものとか。ガラス製のクリアなものもいいな。繊細な柄が描かれていて、ちょっと強く握れば割れてしまいそうな儚いもの。あと、華奢な金いろのスプーンなんかもいいな。

 

たった一本のスプーンを選ぶことから、わたしの次がどんどん膨らみ、はじまっていく。そんな感じがする。世界が開けていくような、つくられていくような。小さな一歩がすべてのはじまり。そんな言葉を思い出したりなんかして。

たまご。

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たまごが食べたくて仕方のないここ数ヶ月を過ごしています。なぜ?って、ダイエット&筋トレをしているからです。なぜ?って、血糖値が高いと医師に忠告されてしまったからです。なぜ?って、甘いものとかパスタとかパンとか、炭水化物ばっかり好んで摂取しまくっていたからです。さらに運動不足も相まって、血糖値、引っかかっちゃった。

 

そこで、食生活の見直しとともに、運動を取り入れて、生活改善を試みてみた結果、血糖値はなんとか正常値に戻りました。なんというか、あのとき(初回の血液検査のとき)体調が悪かったとか、そういうのも影響するのかしら?とっても高かったもの。とはいえ、やはり健康第一なので、バランスのいい食事と規則正しい生活とほどよい運動は、健康への大きな第一歩になりますもんね。おかげてとても調子がいいです。

 

で、たまご、のハナシに戻りますが。

たまごはタンパク質の王様とも呼ばれるほどで、良質な筋肉をつくるうえで欠かせないのはもちろんのこと、肌や爪、髪の毛の健康もサポートしてくれるのだとか。知らなんだ。たまごってコレステロールがあがるってイメージが強かったのです。それは食べすぎるからなんでしょうけれど、栄養価のとても高い、健康維持に欠かせない食物なんですって。

 

そうと知ったらなら食べるっきゃない!というわけで、今ではせっせとたまごを頻繁に食べるようになりました。糖質もほぼゼロですしね。今のわたしにぴったりです。

 

食事に運動に、日々の生活を改善してみて思うのは、人間の身体ってとても素直なんだってこと。栄養のあるものをバランスよく食べて、運動して、夜寝て、朝起きて。それだけで万年の悩みであった、「なんとなく、怠いぞ・・・」が緩和されましたもん。すごいな。こんな当たり前のことが大切だったんだ。

 

忙しいと当たり前をするのがとってもむずかしかったりしますよね。わたしの場合はただの怠慢な性格ゆえですが。でも、お疲れのかたは、身体にいい温かいものを食べ、ゆっくり休む。これだけでも少しは身体が楽になるのかもしれないです。そうだといいな。みんながんばってるから、ゆっくり休める時間が持てるといいのだけど。

コンロを探す旅。

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コンロを探しています。ガスではなくIH(アイエイチ)のもの。IHって、火が出ないらしい。どうやら電磁誘導加熱(誘導加熱)という原理によって炒め物やフライ、などなどができるらしい。すごいなあ。いろんな電化製品があるもんだ。時代はどんどん進む。うかうかしてると、あっというまに置いてかれるね。

 

そういえば、今から5年ほど前に車を買ったのだった。それまで古いクラシックカーに乗っていて、それは時計も針だし、窓は手動でクルクルと回して開けるのです。それはそれで楽しくって、手がかかる分だけ愛着増し増し。けれど泣く泣く手放すことになって、次に購入したのは最新式の車で、時計はデジタル、窓も電動。全部車のほうがやってくれちゃう、至れり尽くせりな車です。人が突然飛び出してきたり、走行中に車が近寄ってきたりすればピーッと音と光でお知らせまでしてくれる。すごいよねえ。なんだかその車に乗った瞬間、自分が浦島太郎になった気分だったな。今までの古い車の価値観をぐるりんっと回転させられるような感じ。面白いような、どことなく、落ち着かないような、そんな気分になっちゃった。

 

便利っていいこともあるけれど、なんだろね、どこか物足りなさを感じてしまうのは。足りているのに、なにかが足りない。その足りないものって、自分が最も大切にしているなにかなんだろうなあ。

 

最新式のIHコンロにしたら、これまで使っていたお鍋が使えなくなるらしい、とも聞いた。今から15年ほど前、知り合いのお店で購入した花柄のアンティークのお鍋もきっと、使えなくなるのだろうなあ。そう思うとちょっとつらい。寂しい。けれど、新しいIHコンロを使ってみたい気持ちのほうが今は大きい。使ってみてやっぱりやーめた、やっぱりガスだ、ガス!となればガスに戻せばいっか。新しいもの好きだけど、古いものも好きな自分。なんかややこしいなあ。でも嫌いじゃないなあ。

友だちと、お茶しながらおしゃべり。

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気がつけばわたしばかりしゃべってる、なんてことはしょっちゅうで。おしゃべり好きの関西人なもんで、この性分、やめられんわけで。もうDNAまで染み込んでるしで困った困ったです。そんな本日は、幼馴染のお家でおじゃまして、なんでもない、ゆるりとした時間を過ごす。彼女の淹れてくれるコーヒーのおいしいこと。ホッとすることなく。「ただのインスタントやで〜」っていうけど、わたしにとっては心がゆるむやさしいコーヒーなのだ。今日も気付けばたくさんおしゃべりしちゃったな。彼女の話し、ちゃんと聞けなかったなあ。ごめんなさい。でも、いつもありがとう。ごめん以上に。

 

じゃあまた、来月あたりに。とバイバイした。こうした時間が老後までゆったり続けばそれでいいなあと思ったりする。しあわせってこんな日々のなかにころりと当たり前のように転がっているようなものですよね、とか。

ひらがな文字の心地よさ

ひらがなの、まるい、ころんとしたシルエットが好きで、

あえて漢字ではなく、ひらがなで書くことが多い。

 

ひらがな、なんかいいな、と思うようになったきっかけは、

とあるエッセイストのかたの本を読んだことがきっかけだった。

 

丁寧に書かれた文章は、

文字を開き、漢字を少なくし、ひらがなにすることで

よりやさしさが引き立つ。

そんな気がする。

 

さらに、わかりやすい言葉で書くことで

大人だけではなく、子どもも読みやすくなる。

 

同じことを伝えるにしても、こうして言葉の選びかた、

文字での表現の仕方に工夫をすれば、

よりたくさんの人たちへと届けることができる。

 

言葉の飛距離を伸ばす工夫。

ひらがなには、そんな力がある。

素敵な人とは

今日、とても素敵だなあ、こんな大人の女性になれたらいいなあ、と思う人を見つけました。

その人は、金髪のさっぱりとしたショートヘアーで、メイクはナチュラル、耳たぶにおさまるほどのイヤリングと華奢なネックレスでさりげなく女性らしさを身に纏った人。洋服はオールブラックのワントーンでまとめ、シンプルなカットソーにワイドパンツといったメンズライクなスタイルをさらりと着こなしているその姿は、決して派手ではないけれど、内側から滲み出るその人らしさが感じられ、一瞬で惹きつけられました。

 

そう、わたしが目指すのは、自分のスタイルをきちんと持っている人。その人はまさに、わたしの目指す理想の大人像を体現していたのです。

 

見た目はとてもシンプルで、無駄な装飾のない洋服や上品なアクセサリーを身につけている。でも、だからこそ、その人の持っている雰囲気やらしさが引き立つ。わたしが素敵だと思う人は、きっと、洋服やアクセサリーがその人よりも前に出ていないことが一つの条件としてあるのだと思います。

 

それは、着こなし上手とも言えるかもしれない。けれど、着こなしが上手に見えるというのは、着る人が自分のことをよく知っているからでもあります。

 

トレンドや定番だけに流されることなく、自分の体型を理解し、なりたい雰囲気、その日の気分なども考慮しながらファッションを楽しむ。社会的な立場やシーンによっては、TPOに合わせた装いをせねばならない日もありますが、日々のファッションを楽しむときは、自分の内側にある視点でアイテムを選ぶことが自分らしい着こなしにつながると思うのです。

 

誰かから見られていることを意識してコーディネートを組み立てることが決してよくないといいたいわけではありません。ただ、その人にしっくり馴染んでいるファッションをしている人を見ると、ああ、この人はきっと自分に似合うものを見つけるまで、たくさんいろんな服を着て、失敗もして、そのたびに自分を観察して、そうやって生きてきたんだろうなあ、と想像するのです。

 

なんでも、はじめから上手にできる人はいない。料理も、音楽も、スポーツも、仕事も、そしてファッションも。途中でやめずに続けてきたから、上手くできるようになる。そんな辛抱強さや粘り強い探究心が一つのセンスの塊となって、素敵な人の雰囲気を作り上げのだと気づかされると、今はできないことも、しつこく諦めずに続けていけば、いつかはできるようになるかもしれないと小さな希望が生まれる。

 

素敵な人というのは、そうやって生きる活力さえも与えてくれるような、大きな光のような人ともいえますね。