どっさり と本

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なんかこううーんって感じで気付けば本屋にいました。今年はそれほど働いていないしそれはイコール収入もあまりないということであり欲しい本があったとしてもすぐに購入するという流れにはならなかったここ数日。けれどもそれにももう我慢がならないというところまできてしまってさらに少しお金が入ったので本屋で久しぶりに直感的に欲しいとなった本を気ままに買うということを先週末にしました。とても心が安定した。いいのか悪いのかな買い物中毒というものなのか。けれども言い訳するつもりもないけれども、わたしにとって本というものの存在はそれほど大切なもので、誰かからすると一冊の本という存在であったとしても、わたしにとってその本から受ける影響は人生を大きく変えてしまうというか震えさせるほどの影響力があるというか、精神安定剤のようなものでもあり、育ての親であり、頻繁に連絡をしなくともつながっている感覚になる兄弟のようなものであり、ちょっと聞いてよと連絡できる友人のようでもあり、生まれてから今もそしてこれから死ぬまでずっとともにする唯一の存在であるわたし自身のようでもある。近くて遠い程よい距離にいながら実はわたしの内側にいた、みたいな唯一無二な存在なんです。だからしばらく本を買うことを我慢していた間につもり積もった気持ちがその日にちょっとだけ爆発をした。

 

本を読みたきゃ図書館へ行けばいいだけのことなんだけれども、本を買って所有するということがわたしにとってなぜ必要なのか。それは、ふとまた読みたいと思ったときにすぐに手に取れるということもそうだし、なんとなく本棚を眺めていて、あ、また読みたい、と思ったときのなんというか久しぶりに懐かしい友人とか昔よく遊んでいた同級生とたまたますれ違ってお茶でもみたいなあの偶然性がもたらす喜びとか。そしてもう一つ。

 

実家に帰ると祖母と祖父、そして父が購入した本が収納されている古い本棚があり、決して大きなものではないけれど、そこから本を拝借するのがここ数年楽しくて。それは亡くなった祖母や祖父と本を通じて再会しているような感覚になる。不思議と探していた本がそこにあったという経験も数度。若いころはそんなことを思ったことなどなかったけれど、命はつながってるんだなぁ、と気づく。

 

わたしには子どもはいないけれど、本を手元に置いておくというのはわたしの歴史がここにあるということとイコールで、わたしがこの世からいなくなったのち、誰かがわたしのそんな部分に触れてくれることがあったならなんだかいいなぁとちょっとだけ期待する。そんな未来のために本を買っているところもある。と、来月請求されるであろうクレジットの明細を見るのを躊躇しているわたしは、そんなことを思いながらそして書きながら言い訳している。でも本の存在がわたしにとって大切であるのだけは確か。