わたしのスプーン。

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スプーン一本すら選ぶことができていなかった。自分はどんなスプーンが好きなの?という問いかけなどこれまで一度もしてこなかった。なのに突然、自分のスプーンが欲しいと思った。きっかけはよくわからない。ただ、朝にヨーグルトを食べるときやコーヒーにミルクを入れて混ぜるとき、お昼にスープを飲むとき、お茶の時間にプリンをスプーンですくうとき、夜、その日一日のうちでの最後のコーヒーを飲むとき。たった一日のなかで、スプーンは何度も登場する。のに、わたしはこれまで、何気なく、ただずっと家にあった、誰かが買った銀いろのスプーンを使っていた。でも、ふとそのスプーンの柄と柄尻のあいだのウネウネとした模様を見て、これはわたしの好みじゃない、と気づいた。わたしなら、もっとシンプルなものを選ぶ。

 

たった一本のスプーン。買えば数百円。今すぐ買わなくなって困らない。もちろん命に関わるものでもない。でも、自分の気に入るスプーンを使えばなんだか毎日が今よりちょっとだけ楽しくなるような気がした。そんな小さなものが欲しかった。

 

いろんなお店を回っては、買い物のついでにふらりと食器コーナーを覗いては、自分好みのスプーンを探す。値段など関係なしに、自分が使いたい、これがいいと思うものをずっと探していた。そしてやっと見つけたスプーンは、一本400円、これといって飾り気なし。愛想がないともいえる。でも、押しつけがましくない。その面が日常にぴったりなのよ。

 

スプーンの先っちょから柄尻にかけてこれといって何の特徴もありませんと見せかせて、実はちょっとだけ、さりげなく湾曲している。だから、人差し指と親指が上手にフィットして、スープを飲むときやコーヒーを混ぜるときもちょっとの力でいい。柄と柄尻のウネウネももちろんない。角がないからやさしくって、程よく重さがあるのもいい。口に入れたときに舌のうえにスプーンのつぼが乗ったときの感触、唇を通過するとき、どのタイミングであれ自然。まるでずっとそこにあったかのようなお馴染み感。無駄な装飾を一切削ぎ落としたシンプルさは、他の食器の邪魔をせず、わたし以上に協調性に優れている。見習わなければ、とすら思うその佇まいに感心すらする。

 

スプーンにこれほど情熱をかけたことなんてこれまでの人生で一度もないけれど、やはり生活はちょっと楽しくなったし、何より、自分がこだわって選んだものを使っている気持ちや、そのお気に入りが毎日、視界に入ってくることに小さな喜びを感じる。その小ささ、さりげなさがいい。

 

今回はシンプルなものを買ったけれど、次は少しだけデザイン性もあるものが欲しいな。例えば、赤いちょぼが柄尻の先っちょについているものとか。ガラス製のクリアなものもいいな。繊細な柄が描かれていて、ちょっと強く握れば割れてしまいそうな儚いもの。あと、華奢な金いろのスプーンなんかもいいな。

 

たった一本のスプーンを選ぶことから、わたしの次がどんどん膨らみ、はじまっていく。そんな感じがする。世界が開けていくような、つくられていくような。小さな一歩がすべてのはじまり。そんな言葉を思い出したりなんかして。