楽しいきもち、おかえりなさい

なぜだろう。

ここ数年、夫へのギフト選びが楽しくなくなってしまった。

前は、何をあげようかな、これをプレゼントすれば喜ぶかな、

と、ひとりワクワクしながら選び、

渡すまで待ちきれなくて、

当日よりも前に渡してしまうことだってあったのに。

今ではすっかり、記念日も、誕生日も、イベントも、

そのまんま。何もしなくなってしまった。

 

その理由がさっき、やっとわかった。

相手が欲しいものを選ぼうとしていたからだ。

 

プレゼントは確かに相手の欲しいものを選べば間違いない。

でも、ちょっと待った。それならば、自分で買えばいいのでは?

となってしまう。

おそらく相手も、欲しいものをもらえれば嬉しいのは嬉しいとは思う。

けれどもなんというか、「この人からもらった」

が、すっぽり抜けてしまっている。

 

ギフトというのは、何をもらうかよりも、

その相手がどんな気持ちでこれを選んでくれたのか、

その見えないプロセスが一番大切だったりする。

自分から自分への普段のお買い物では得ることができない

その部分が、ギフトには含まれている。

 

そのことにふと気づいたとき、

ああ、ならば、わたしが夫へ贈りたいと思うものを選べばいいんだ。

それってなんか、楽しい。

と、自然と楽しいって気持ちがふつふつっと湧いた。

 

 

今日はなんと、バレンタイン。

渡すつもりはなかったけれど、

お気に入りのケーキ屋さんでケーキを買って、

あと、本を一冊プレゼントしよう。

 

夫がアマゾンのほしいものリストに入れている本は

たぶん100冊くらいある。

でも、それは今日はチェックしないぞ。

わたしがこれだと思う一冊を贈ると決めた。

 

仮に夫がそれを読まなくてもいい。

いつかふと本棚にしまったその本を手にして、

今日のことを思い出してくれれば、

なんだかそれでいいような気がしてきた。

 

なんだ、プレゼントって、こんなに楽しい。