わたしを信じてくれているひと

言葉の生命力

 

「自信がないあなただからこそ、書けるものもあるんじゃない?」

 

ある友人がわたしにかけてくれたこの言葉をわたしはおまじないのようにたまに呟く。30歳半ば、突然フリーランスのライターになって、経験も技術も足りなくて不安で、周りを見渡せば優れたライターさんもいっぱいいて、そんな人たちと自分とを比べてさらに不安は募ってく。そんな悪循環に陥ってはライターとしてこれからちゃんとやっていけるのか、そもそもライターという仕事をこんなわたしがしていてもいいのか?そんな後ろ向きなわたしの口からこぼれたある一言にたいして友人がかけてくれたこの言葉。

 

言葉の生命力は人間の生命力を軽々超える。そのくらい、どれだけわたしが自信をなくして凹んでぺしゃんこになっても強い言葉は息づいてむしろ立ち上がる。強い。力のある言葉はそれだけで強い。わたしが死んでも言葉だけはこの世に生き続けるんじゃないかって思う。そのくらいもはやわたしからこの言葉を独立させてこの世に残して死にたい。この言葉はそんな言葉なんだ。

 

今年はライターとしてもっと幅を広げたいから、だからそのために必要な職歴を今書いている。必死で駆け抜けてきた独立してからの3年半は、振り返る暇などなかったほどにあっという間で、とにかく仕事をこなすだけで精一杯だった。背伸びをした案件もあり、納品を達成できなかったことも正直あった。そんななか、「とてもよかった。よい記事を書いていただけると、こちらもがんばろうって思えます」そんなうれしいお言葉をいただけることもあった。素直にうれしかった。

 

わたしなんてなにもない。なにも持っていない。書けるライターさんなんてたくさんいる。そんな自信も取り柄もないわたしの背中を何度も押してくれたのはこういった言葉で、ライターとしてのわたしの背中を何度も押してくれて、だからここまで3年半も続けてこられたのだった。職歴を書くために、まだ短いながらも自分のライター人生を振り返り、そこではじめて、「わたし、がんばってきた」って思った。ちゃんとやってきた。よくがんばった。

 

自信がないと塞ぎ込んでだり、がんばろうって思えたり。いろんな感情がぐらりぐらりとわたしのなかで日常的に動いている。それでも仕事は待ってくれないし、書かなければならない。書き続けることはわたしにとって船を漕ぎ続けることと同じで、漕がなけれ船は沈む。だから漕ぐ。書く。

 

自分のことを信じられなくてもわたし以外の誰かがわたしのことを信じていてくれていれば、それでいいじゃない、ってどこかで耳にしたことがあって、そのときたしかにわたしはそうだと思った。そしてわたしにもそんな人がいる。この友人もそのひとり。