わたしの推しはわたし

とうとうアラフォーに突入。片足はすでに突っ込んでいた。というわけで、今、本格的にアラフォーと世間から呼ばれるところにいる自分。ちょっと焦っている。これからどんどんわたし、老けちゃうのかあ・・・シワ、シミ、たるみ、くすみ・・・もっともっとひどくなるの?といった感じ。なんだかアンチエイジングが良しとされる昨今において、老化ととに自然と生きるというスタイルって、果たして多くの人たちから受け入れられるのだろうか?

 

ちょっと想像してみる。すでに今の自分の顔に刻まれているほうれい線やおでこのシワ、そしてたるみなどがこれからもっともっと増えていくことを。そしてそれは止まることなく、どんどん進む。そのスピードは、じわじわゆっくりかもしれないし、どのかのタイミングで急速に加速する可能性だってある。

うーむ・・・。やはり、いつまでもキレイなままでいたい。これが正直な気持ちだ。シワやシミやたるみのある顔が悪いというわけではないだろうけれど、やはり、昔にはなかったほうれい線のくっきりある自分の顔を見て、「なんだかブルドッグみたいだな・・・」と思うこと、今もすでにある。夫から「ほうれい線がすごいね」なんて心無い言葉をいわれたことも、多々とある。身内ゆえの本音というやつかもしれないけれど、やっぱり言葉の重みというのは身内だからって軽くなるものではない。傷つくよ。

というわけで、老化と共に自然と生きていけばいいじゃない、とか思っていた自分は、実はそうどこかでがんばって言い聞かせようとしていただけ。本当はわたしだって、いつまでも若くてきれいでありたいものだ、と思っていたんだな、ということに気づいた。

さて。じゃあ、どうしよう?というわけで、早速わたしはアンチエイジングに取りかかることにした。今から半年前に、この計画は実行された。

 

まずはじめに行ったのは、自分の顔や身体を「見る」こと。

いやいや、見てなかったんかい!と思われてしまいそうだが、答えは、はい。鏡に写る自分の老けっぷりに目を背け、怠慢な生活の蓄積によって完成されたブニブニのお腹や二の腕、尻周り、プンプンの太ももなぞもそのまんま放置。そして「うん、こんなもの」と受け入れてきた。だって、年齢とともに身体が重力に逆らえなくなるのは普通のこと、と。でも内心、ああ、若かりしあのころの顔や身体が恋しい・・・と思っていたのだ。


シュッとした輪郭、ぱっちりとしたお目目、ほうれい線のない口周り、鎖骨の見える胸元、威勢の良い胸元、ウエストのくびれ、すっと長く伸びた脚。そのどれもこれもが過去に葬り去れてしまったものばかり。そしてそれを一括りに「加齢だもんね、仕方ない」と片付けてきた。そして、見ないように蓋をした。その結果、みるみるうちにわがままたるんたるんボディーへ。


勇気を出してその蓋を開け、そこに見える景色は、さぞやもう、がっかりを超え、どうする?といった感じ。これは、だれ?そう、長く見ないうち、ちゃんとわたしは加齢をしていたのだった。
輪郭はぼやけ、重いまぶたによって目元はしょぼしょぼ、ほうれい線がより年齢を増してくれているといった余計なお世話っぷり。身体もしかり。鎖骨はどこだ?胸はこんなに下だったっけ?ウエストのくびれは外出中?脚に至ってはなんともたくましくなっちゃって・・・。見た。わたしはちゃんと見た。まずその勇気を讃えたい。そして次のステップへと進もう。

そう、問題点や疑問点を見つけたとき、それを無視することほどいけないことはないよと昔、尊敬する上司に言われたじゃないか。それをあらためて実行すべきときがきた。というわけで、わたしの取った老化ストップのための行動は、運動と食事の見直し。とてもシンプルだが、これが一番効果的だと思ったのだ。無理なダイエットはアラフォーにとって致命的。ホルモンバランスの崩れや病気の原因にもつながりかねない。ちゃんと、身体を整えたい。痩せたいんじゃない、健康的で若々しい肌や身体を手に入れたいのだ。

 

というわけで、運動と食事を見直すこと、半年。その途中経過として、かなり体調が良くなり、身体は引き締まり、久しぶりに鎖骨とも再開した。肩のラインもまるで美しい山並みのようで、ああ人間ってこんなにきれいな骨格をしているのか・・・と、我ながら自分の変化した身体を見て感動したのだった。エストもキュッと引き締まってお腹には縦のラインがうっすらと。二の腕はなぜか痩せづらく、ちょっとぷにぷにっとまだしてはいるものの、お肉が寄ってどこか窮屈そうだった脇はすっきり。


そして何より肌艶がとても良くなったのだ。
おそらく運動によって血流が促され、冷えの改善や体内の余分な老廃物が排出されやすくなり、新陳代謝が促されたのだろうと思っている。肌のくすみが消えてパッと明るくなり、それだけでかなり若々しく見える。おでこのシワやほうれい線は完全に消えはしていないものの、顔まわりがすっきりとしてフェイスラインが「おかえりなさい!」と言っている。

全ての問題が改善されたわけではないが、明らかな自分の変化に驚いている。そして何より、運動と食事を見直したことでとても身体が楽になったのだ。運動をしたことにより足腰がしっかりしたせいか疲れにくくなったし、甘いものなど炭水化物の摂りすぎをやめたことで食後の気怠さが無くなった。よって、午後からもしっかり身体と頭が動いてくれる。なんだかいいことづくめじゃないか、とびっくりしている。ただ日常に運動と健康的な食生活を取り入れただけで、こんなにも人間の身体は正直に変化するのかと。それと同時にこれまでの怠慢な生活を振り返り、「あれは、あかんかった」と反省している。


しかしながら、毎日休まず運動やちゃんとした食生活を続けるのはなかなか難しく、ときにはベッドの上で丸一日を過ごしたいときだってあるし、何も気にせず甘いものを食べたいときもある。そんなとき、わたしはそんな自分を受け入れることにしている。
なんでもメリハリが大事で、ずっと続けられる人間なんてそういないし、そんな人がもしもいるならばそれはとても素晴らしいことだけれど、一番大事にしているのは、長いスパンで考えること。

自分の身体とは一生付き合っていくわけだし、自分のことを一番に理解しているのはこの自分なのだから、弱みも理解しているし、よってどうすれば継続できるのかもちゃんとわかっている。周りの正しいに決して流されず、自分とふたり、二人三脚のようなつもりでのんびりマイペースにやっていきたいのだ。

それにしても自分のことをよく見るようになってからのほうが、見ないように見ないようにとしていたころよりも、自分のコンプレックスごと好きになれたように感じている。

結局のところ自分という存在は、誰かに好きになってもらうためのものではない。自分が自分の「推し」のような存在になれたら、人生は楽しくなるということか。